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函館にいたころ、まだプロレスがゴールデンタイムで放送されるほど人気があり、猪木(新日本プロレス)の「ワールドプロレスリング」、馬場(全日本プロレス)の「全日本プロレス中継」をかかさず観ていた。当時、新日本と全日本以外にもうひとつ団体があった。国際プロレスである。東京でのみテレビ放送していたこの団体は、他の2団体に比べスター選手がいないため「金網デスマッチ」を売りのひとつにしていた。
国際プロレスは何回か函館市民体育館にやって来て、小学6年生~中学2年の間に少なくとも2回は観に行っている。プロレスに行くと、選手にサインをもらうのが楽しみだったが、国際プロレスの選手は他団体の選手が無言でサインするのに対し、とても気さくに話しかけてくれたりした。マイティ井上が色紙に「○○君へ」と書くために私の名前を聞かれたが、漢字をうまく説明できず間違って色紙に書かれた。当時、凱旋帰国したばかりで脚光を浴びていた阿修羅原にも話しかけてもらったが緊張のためうまく返事ができずに笑われてしまった。次の試合のため会場の隅でウォーミングアップしていた「謎のマスクマン」マッハ隼人におそるおそるサイン帳(売店で販売していた)を差し出したら、ウォーミングアップをやめてわざわざサインをしてくれたのもうれしかった。もうひとりのマスクマン、デビル紫の試合用マスクが1500円で販売されていたが、買わなかったことを今でも後悔している。このマスクは本人が自分で縫っていたらしい。 プロレスに行くとサインをもらうのに夢中で、試合をほとんと観ていないのだが、金網デスマッチだけはメインということもありしっかりと観ていた。確か”エース”ラッシャー木村 VS グレート・ムルンバとかいう黒人選手だったと思う。金網デスマッチは、リングの周りを高さ数メートルの金網で囲み、リング外に簡単には逃げられないようになっている。もちろん金網に叩きつけてもOKだ(あまり痛くないと思うが)。試合の決着方法もスリーカウントではなくノックアウトかギブアップのデスマッチ(時間無制限)。技の応酬とかは覚えていないがラッシャー木村がムルンバの腹に弓を引くように思いっきりパンチをぶちかましたのは「いくらなんでもそりゃ痛いだろ!」というくらい迫力があった。試合はたぶんラッシャー木村が勝ったんだろう。器用な選手ではないがおそろしくタフであった。 その後国際プロレスは、北海道の羅臼町で最後の興行を行い団体としての活動を停止する(1981年)。ラッシャー木村はアニマル浜口(気合だ~!)、寺西勇とともに猪木の団体へ参戦し、毎週のようにテレビに登場することとなる。 ♂Glass Onion Blog♀ > アニマル浜口と国際プロレスとその後の色々
by beatpops
| 2005-06-29 15:20
| 函館思い出
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