故郷函館に思いを込めたブログ。曖昧な記憶を元に書いてます。 (2004年7月開設)
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カテゴリ:函館思い出のブーム( 17 )

バンバンボール
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小学6年のころ、ちょっとの間だが流行ったのがコカコーラのバンバンボール。ある日、柏野小学校の向かいにあった「あかしや」の前でバンバンボールの大会が開かれた。ゲストとして世界チャンピオンという触れ込みの赤いブレザーを着たアメリカ人がやってきて、大会の前に各種デモンストレーションをみせてくれた。
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そのチャンピオンは大会が終わったあとバンバンボールの裏側にサインをしてくれた。決勝に残った僕に何やらコメントをくれたが英語だったので意味はわからなかった。たぶん、もっと練習して上手くなれよ、とかだと思う。

その後練習などしなかったが「テンプラ」という技だけはいまでも覚えている。チャンピオン、元気かな?どこの誰だったんだろう?
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by beatpops | 2013-09-27 21:00 | 函館思い出のブーム | Comments(2)
プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの まぁだま~って読んでみてよ

プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの まぁだま~って読んでみてよ

最初見かけたときはよくある暴露本の類で自慢話や恨みつらみばかりの本なんだろうなと思ったが、読んでみたらプロレスのあるべき姿、提言など共感できる部分が多かった。時に裏切りながらも客の関心を惹き続けて記憶に残る試合をしてきたアントニオ猪木。やっぱり不世出なんだろうな。
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by beatpops | 2013-02-10 00:40 | 函館思い出のブーム | Comments(4)
藤波辰巳 デビュー40周年
藤波辰爾デビュー40周年・ファイナル ~40th.ANNIVERSARY FINAL~

1978年の1月だから5年生のとき、いつものように金曜夜8時、『ワールドプロレスリング』をみていたら、ニューヨークに遠征している藤波という選手の試合が放映された。

衝撃だった。

その数ヶ月後、藤波は凱旋帰国して超人気レスラーとなり、函館にも巡業でやってきた。ポスターを買うとその場でサインをしてくれるというので当然列に並んだ。自分の番になったとき、緊張のあまり固まってしまい、藤波もサインペンを持ちながら一瞬「?」という表情をした。とにかくかっこよかった。自分もいつか「凱旋帰国」しようと思った。

藤波辰巳(あえて辰巳と表記)はアントニオ猪木とともに僕のヒーローだった。
40周年おめでとう。


藤波辰爾デビュー40周年記念DVD-BOX
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by beatpops | 2012-04-23 23:19 | 函館思い出のブーム | Comments(6)
サーキットの狼
小学校の5~6年のころ、スーパーカーブームが起きた。その火付け役のひとつとなったのが少年ジャンプ連載の漫画「サーキットの狼」だ。この漫画の影響で、一般的に人気のあったカウンタックやフェラーリBBよりも主人公風吹裕矢が乗るロータスヨーロッパが一番好きだった。ひとりで自転車に乗っているときは、角をまがるとき意味無くブレーキをきかせて風吹裕矢が得意とするドリフトのまねをしたものだった。

懐かしくて検索してたら、その「サーキットの狼」の原作者である池沢さとし(現:池沢早人師)が名誉館長になっている「サーキットの狼ミュージアム」というのが去年オープンしていることがわかった。
サーキットの狼ミュージアム公式サイト

クルマには全く興味のない大人になってしまったが、このサイトの展示車ページを見るとちょっとワクワクしてくる。

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マイ・ジェネレイション
オリジナル・モノ・マスターをやっと購入。

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最終退行 (小学館文庫)
小説を読むのは1年ぶりくらい。銀行ってこんな世界なのか?
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by beatpops | 2010-09-24 23:08 | 函館思い出のブーム | Comments(8)
日の丸飛行隊
札幌冬季オリンピックが開催されたのは1972年の2月、幼稚園の年長のとき。このときに印象深かったのはなんといっても日本のジャンプ70m級の金銀銅メダル独占だ(といってもテレビで生で観た記憶はないのですが...)。笠谷が金、金野が銀、青地が銅と、日本人が表彰台を独占したのだからそれはそれはすごいことで、北海道人にとっては駒大の甲子園優勝よりも盛り上がったのではないかと想像される。このとき以降、ジャンプの選手は我々のヒーローとなり、いろいろな「ジャンプごっこ」で遊んだ。

札幌オリンピックの直後、青柳町の友人宅で遊んだ「ジャンプごっこ」は、押入れの上段から「かさやー!」、「こんのー!」と叫びながら畳に飛び降り、手を水平に広げ着地する、というものだった。当然、みんな笠谷になりたがった。着地に失敗して打ち所が悪く泣き出したのは自分だったか?

小学校高学年のときの「ジャンプごっこ」は、友人にズボンの後ろのベルトループをつかんでてもらい、両手をしっかり横につけ前のめりの姿勢で滑空するふりをし、着地の直前にベルトループを離してもらう。そしてこれまた手を水平に広げ着地。フォームの美しさが大事だ。

今日からトリノオリンピックがはじまる。女子フィギュアもいいがジャンプもがんばってほしい。原田でるのかな?でたらすごいことになる予感が...。

(追記)原田、予選失格...
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by beatpops | 2006-02-11 00:50 | 函館思い出のブーム | Comments(0)
マスカラスの夏2005
先月、このブログでプロレスラーのミル・マスカラスを取り上げたらなんと!昨日来日した。今日8月4日、東京両国国技館でテリー・ファンクとタッグを組み試合をするようだ。夏といえばやっぱりマスカラス、試合には行けないが久々「スカイ・ハイ」と「スピニング・トー・ホールド」を聴きたくなった(ちなみに今朝はブッチャーのテーマ「吹けよ風~」を聴いた)。
飛べ飛べ!マスカラス!!(飛べるか?)

スポーツナビの来日写真
ミル・マスカラスの夏
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by beatpops | 2005-08-04 11:26 | 函館思い出のブーム | Comments(0)
ミル・マスカラスの夏
70年代後半、プロレス大好き少年の夏といえばコレ「ミル・マスカラス」。「仮面貴族」や「千の顔を持つ男」という異名を持つメキシコの覆面レスラーで、ボディビル出身のビルドアップされた体でボディアタックやフライングクロスチョップなどの空中殺法を得意とした。ジャイアント馬場の団体「全日本プロレス」の夏のシリーズ「サマーアクションシリーズ」に毎年のように来日した。

今では当たり前となった選手入場時に流れるテーマ音楽は、マスカラスが先駆者だと思う。英国のバンド「ジグソー」の『スカイ・ハイ』だ。この曲は日本でも大ヒットし、ラジオ番組「ベストテン北海道」でも上位にランキングされていた記憶がある。小学校5年くらいのころだろうか。その後、ジグソーはいわゆる一発屋で終わるがマスカラスの人気は弟のドスカラスとともに上昇していく。

マスカラスは、試合用の覆面(マスク)の上にもう1枚マスク(オーバーマスクといった)を被って入場した。そしてリングに上がると、そのオーバーマスクを脱いで客席に向かって投げるのだ!それはもう「お宝」である。テレビに映る、マスクを手にした人が本当にうらやましかった。このころ一番欲しいものは?ときかれたら迷わずマスカラスのマスクと答えただろう。

マスカラスはとてもいい人で(というか日本テレビの企画で)、試合会場に来れないファンのために、シリーズが終わると視聴者プレゼントがあった。ハガキを送ると抽選でオーバーマスクが当たるのだ。どうしてもマスクがほしかったのでハガキを100枚くらい買ってきて、少しでも目に留まるように一枚一枚手書きでマスカラスの絵を描いたり、メッセージを書いたり(日本語で)、蛍光ペンで縁取りしてみたりした。

そして抽選の日。この模様はテレビで中継されたのだが、リング一面を覆う、積み重なったハガキの山。このハガキの山からジャンボ鶴田がハガキを一枚一枚選んでいくのだ。さすがにこの山を見たとき「こりゃダメだ...」と諦めかけたが、ジャンボに祈りを込めて念をいれた。「頼むジャンボ!当たりますように...」。ジャンボはハガキの山の中に思いっきりダイブして1枚のハガキを選んだ...。そしてまた1枚...。

その後、マスカラスはタイガーマスク(初代)の出現とともにピークは過ぎていく。

日本の夏、マスカラスの夏、金ラメ地のマスクがキラキラしてた...。
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by beatpops | 2005-07-12 06:34 | 函館思い出のブーム | Comments(2)
BCL(海外短波放送)
BCL(BroadCasting Listener)とは、短波ラジオで海外放送を聴くこと。深堀中学2年のころ(1980年)、短期間ではあるが夢中になった。短波ラジオを聴くためには専用のラジオが必要で、我が家にはちょうどナショナルの「クーガーRF-2200」というラジオがあった。当時としてはちょっと高価なラジオだったと思う。この「クーガー」は、メインは短波を受信するためのラジオなのだが、上部についている中波用アンテナ(ジャイロアンテナだったかな?)が特徴で、ラジオの位置を変えなくても、中波帯(AM)を聴くときは受信状態を調整することができた。短波ラジオは遠くまで電波が届くという利点の反面、雑音が多いのでチューニングやリスニングに結構、忍耐が要求されたが、なかなか受信できない目的の局を苦労して受信できたときは、宝を探し当てような達成感があった。さらに受信状態を良くしようと、屋根に上がって四苦八苦しながらアンテナ線を張り巡らしたこともある。結果はあまり変わらなかった。

主に聴いていたのはやはり日本語放送で、覚えているのはBBC、ドイチェヴェレ、モスクワ放送、ラジオ・オーストラリア、北京放送、ラジオ韓国、朝鮮中央放送(北朝鮮)、自由中国の声(台湾)、ベトナム放送、アンデスの声(エクアドル)あと宗教系の放送がグアムやフィリピン、韓国などから。まだ冷戦時代だ。やはり近いということもあってアジア各国の放送が受信状態が良く、聴きやすかった。ヨーロッパでもアジアに中継局があるものは聴きやすかった。「乱数放送」ってまだあるんだろうか?そういえばタモリが「こちらは北京放送局です」という芸(?)をやっていたのもこのころ。

放送を聴いて、放送局に受信日時、受信状態、内容などを記載した「受信報告書」を送ると、それを証明する「ベリカード」というものが送られてくる。「ベリカード」は絵葉書のようになっていて、片側に受信証明を記載、もう片側に現地の写真や絵になっていて各国各局特色があり、それを集めるのも楽しみのひとつであった。ラジオ・オーストラリアは、現地の動物写真で人気が高かったと思う。北朝鮮は、放送の内容は日本に厳しいものではあったが、ベリカードと一緒に小型のペナントなどが同封され、リスナーへの対応はとても良かった印象がある。当時、ルチャリブレ(メキシコのプロレス)に憧れていたので、ラジオ・メキシコにほとんど受信できなかったにもかかわらずテキトーな英語で受信報告書を送ったらベリカードとペナントが送られてきたときはうれしかった。これらのベリカードはまだ柏木町の実家のどこかにあるはずだ。

その後ビートルズに出会ってからは海外放送も聴かなくなった。私の中では半年くらいのブームであった。インターネットなんて夢にも思わない、いまから四半世紀も前のことなんだな。
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by beatpops | 2005-06-12 12:48 | 函館思い出のブーム | Comments(1)
スーパーカーブーム
全国にスーパーカーブームが巻き起こったころ小学5年生(1977年)だった。

初めて生で観たスーパーカーは、黄色のランボルギーニ・カウンタックLP400。丸井デパートの屋上にやってきたのだ。丸井の屋上なので当然走り回ったりはせずに、止まっているだけなのだが、両サイドのドアを鳥の羽のように上に開いた状態のカウンタックは、それは本当にシビレる光景だった。混雑の中、一生懸命写真を撮ったのに、興奮していたのか、腕が悪かったのか、全部ピンボケだった。

さらに数ヵ月後、湯の川にあったボーリング場跡(?)にスーパーカーが大挙やってきた。今となっては本当に観たのか、雑誌やカードなどの記憶なのかはっきりしないが、デトマソ・パンテーラなんかがあったような気がする。屋内なのにフラッシュ無しのカメラで撮ったので、これまた全部ピンボケだった。

実際にスーパーカーに乗ったこともある。その日は、柏野小学校の近くにある施設にロータス・エスプリがやってきた。グラウンドを何周か回ってその走りを披露した後、子供を二人だけ助手席に乗せてくれるというのだ。当然、みんな乗りたがり、「乗せて!乗せて!」と騒ぎ出した。なぜか私とI・Kが選ばれた。まっすぐな瞳で訴えたのが功を奏したのだろう。実際乗ってみると低い車高がさらに低く感じられ、ほとんど寝そべっているような不思議な感覚だった。そんなにスピードは出していないが十分満足のいく体験であった。翌日、I・Kとふたりで自慢したら、みんな嫉ましかったのか誰も相手をしてくれなかったのを覚えている。

(つづく)
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by beatpops | 2005-05-16 07:41 | 函館思い出のブーム | Comments(0)
ルービックキューブ
ルービックキューブが流行ったのは中学2年のころ。本物は品薄でなかなか手に入らず、自分が持っていたのは「まがい物」であったため、動かしている最中によくパーツが外れた。教室で時間を計りながら競った記憶はあるが、結局自分は6面完成させることはできなかった。というよりあまり面白みを感じなくて飽きてしまったのだ。同級のA山がミニチュア版のルービックキューブを器用に6面完成させていたのは覚えている。

会社の同期の話なのだが、年に1回ある上司との面談で「申告書」というものを書かされるのだが、その中の項目のひとつに「特技」というのがあった。新人のころ、その同期は、その「特技」欄を何も書かずに提出したところ、上司から「何かあるだろ!何でもいいから書け!!」といわれ、「ルービックキューブをXX分以内に6面完成できる」と書いた。実話である。

ルービックキューブが25周年とのことだ。
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by beatpops | 2005-03-19 10:54 | 函館思い出のブーム | Comments(4)