故郷函館に思いを込めたブログ。曖昧な記憶を元に書いてます。 (2004年7月開設)
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国際プロレスの金網デスマッチ
函館にいたころ、まだプロレスがゴールデンタイムで放送されるほど人気があり、猪木(新日本プロレス)の「ワールドプロレスリング」、馬場(全日本プロレス)の「全日本プロレス中継」をかかさず観ていた。当時、新日本と全日本以外にもうひとつ団体があった。国際プロレスである。東京でのみテレビ放送していたこの団体は、他の2団体に比べスター選手がいないため「金網デスマッチ」を売りのひとつにしていた。

国際プロレスは何回か函館市民体育館にやって来て、小学6年生~中学2年の間に少なくとも2回は観に行っている。プロレスに行くと、選手にサインをもらうのが楽しみだったが、国際プロレスの選手は他団体の選手が無言でサインするのに対し、とても気さくに話しかけてくれたりした。マイティ井上が色紙に「○○君へ」と書くために私の名前を聞かれたが、漢字をうまく説明できず間違って色紙に書かれた。当時、凱旋帰国したばかりで脚光を浴びていた阿修羅原にも話しかけてもらったが緊張のためうまく返事ができずに笑われてしまった。次の試合のため会場の隅でウォーミングアップしていた「謎のマスクマン」マッハ隼人におそるおそるサイン帳(売店で販売していた)を差し出したら、ウォーミングアップをやめてわざわざサインをしてくれたのもうれしかった。もうひとりのマスクマン、デビル紫の試合用マスクが1500円で販売されていたが、買わなかったことを今でも後悔している。このマスクは本人が自分で縫っていたらしい。

プロレスに行くとサインをもらうのに夢中で、試合をほとんと観ていないのだが、金網デスマッチだけはメインということもありしっかりと観ていた。確か”エース”ラッシャー木村 VS グレート・ムルンバとかいう黒人選手だったと思う。金網デスマッチは、リングの周りを高さ数メートルの金網で囲み、リング外に簡単には逃げられないようになっている。もちろん金網に叩きつけてもOKだ(あまり痛くないと思うが)。試合の決着方法もスリーカウントではなくノックアウトかギブアップのデスマッチ(時間無制限)。技の応酬とかは覚えていないがラッシャー木村がムルンバの腹に弓を引くように思いっきりパンチをぶちかましたのは「いくらなんでもそりゃ痛いだろ!」というくらい迫力があった。試合はたぶんラッシャー木村が勝ったんだろう。器用な選手ではないがおそろしくタフであった。

その後国際プロレスは、北海道の羅臼町で最後の興行を行い団体としての活動を停止する(1981年)。ラッシャー木村はアニマル浜口(気合だ~!)、寺西勇とともに猪木の団体へ参戦し、毎週のようにテレビに登場することとなる。


♂Glass Onion Blog♀ > アニマル浜口と国際プロレスとその後の色々
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by beatpops | 2005-06-29 15:20 | 函館思い出 | Comments(0)
夜来香
「夜来香」は「イエライシャン」と読む。意味はわからないが「夜になると漂ってくる香り」と勝手に思っている。Googleで検索すると昔に同名の歌が流行ったようだが、私にとっての「夜来香」は大門にあった中華屋だ。「エイライシャン」とよんでいた気がする。当時、まだ存在していた映画館のロマン座と帝国館の通りにあり、帝国館の向かいあたりに夜来香があった。なので店からでると嫌でもポルノ映画館を目にすることになる。

店に入るとラードと思われる中華屋特有の油系の匂いが満ちていてた。食べた記憶があるのはラーメンで普通の醤油味だったと思う。1階は10席くらいで2階に座敷席があった。

小学生のころ数回行っただけなので記憶がかなりあいまいであるが、どうもロマン座、帝国館の近くということもあり「夜」のイメージが漂っている。
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by beatpops | 2005-06-23 07:11 | 函館思い出の場所 | Comments(2)
Musical Baton
おいしいもの食べたい。★ 函館付近の食べ歩き日記のbluecitronさんからトラックバックされたバトン企画です。

【Musical Baton】
最近海外のblogから発生した音楽好きブロガー間のバトン企画。今流行ってるそうです。

以下の四つの質問に答えた後に他の5人にまわす。
最新のエントリーにトラックバックすればいいらしい。

■Total volume of music files on my computer:(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
→11.63GB。
こないだiPod(20G)を便器に水没させてしまいました...。

■Song playing right now:(今聞いている曲)
→Pink Floyd 『The Dark Side Of The Moon』
実はPink Floydは最近はじめて聴きました。仕事したくないときに会社でもよく聴いてます。

■The last CD I bought(最後に買ったCD)
→Graham Parker 『Songs Of No Consequence』
ベテランおやじロッカーの最新作。いつもどおりのロックンロール。でもそれが気持ちいい。

■Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me:
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
人生の5曲は難しいので夏に聴きたい5曲を選びました。

・Three Plus 『Honey Baby』
・The Style Council 『Long Hot Summer』
・Sam Cooke 『Only Sixteen』
・The Rolling Stones 『Under The Boardwalk』
・The Kinks 『Stop You Sobbing』

以上です。

それでは、よく拝見しているブログで、音楽ネタの多い方にまわしてみます。

 ・One Of These Nights with The BEATLES / Paul's Rickenさん
 ・I Saw the Light / techan.tさん
 ・ξQQQξ(不死身のタイトル未定)ξQQQξ / teacherteacherさん
 
5人選ぶのですが2人空きがありますので、ぜひ回してほしい方がいらっしゃいましたら、
コメントにその旨書き込んでください。トラックバックさせていただきます。

>トラックバックさせていただいた方
もしお暇でしたらよろしくお願いします!
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by beatpops | 2005-06-18 14:36 | Comments(2)
自転車
私がはじめて買ってもらった自転車は「ピーターパン」という赤い自転車で、幼稚園~小学校1年くらいまで乗っていた。当時仮面ライダーが流行っていて、ライダーがはめているグリーンのグローブの代わりに緑色の靴下を手にはめて乗っていたことを覚えている。

近所の年下の子供が、補助輪付きではあるが自分より大型の自転車を得意げに乗っているのを見て、くやしくて父にねだり、松陰町にあるマジマで買ってもらったのが「ドレミセブン」。これは仮面ライダーが乗るオートバイ「サイクロン号」を模したキャラクターものであった。この自転車はその後、知人の子供に譲り、お礼に金属バットを買ってもらった。

小学校5年のころ、スーパーカーブームの中、「スーパーカーライト」という自転車が登場した。これはライトがスーパーカーのようにパカッと出したり閉じたりできるのだが、操作レバーはライト自体についているので、ライトを出すときはわざわざ自転車を止めて手を伸ばさなければならないというものだった。「飛び出す筆入れ」と同じくらい無意味だが、乗っていると「サーキットの狼」気分になれたことだろう。私は「スーパーカーライト」ではなく、対抗商品であるブリジストンの「モンテカルロ」を誕生日祝いとして買ってもらった。他人とバッティングするのが嫌だったというのもあるが、「スーパーカーライト」に比べちょっと「大人」な感じがしたのだ。この自転車の特長は「シンクロメモリー」という変速機で、ギアが各段毎にカチカチッと確実な手ごたえがあるため、操作の確実性が高かった。この「シンクロメモリー」はドリフのコマーシャルで浸透していたが、なぜ「シンクロメモリー」というネーミングなのだろうか?他社のオイルディスクブレークに対抗してブレーキにも特徴があったのだが忘れてしまった。中学のころ、この自転車で夜中釣りに行くため、車道のど真ん中を爆走したのが懐かしい。

函館は狭いので自転車でたいていのところは行けた。これからの季節、気持ちいいだろうな。
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by beatpops | 2005-06-15 08:37 | 函館思い出 | Comments(5)
『words for a book』 大江慎也
高校時代、そして今も私のロック・ヒーロー。大江慎也(元ルースターズ)。
高校2年の10月、それまでビートルズやストーンズなど洋楽ばかり聴いていたが、松陰町のレンタルレコード店「33 1/3」でたまたまジャケットに惹かれて借りてみたのが発売直後の「DIS」。それ以来、自分にとってのロック、というより生活はルースターズが中心となった。パンキッシュでビート主体のファースト、ポップの要素も加味した「a-GoGo」、狂気の片鱗を見せはじめた「Insane」、大江が最初にダウンしたころの「In Nurnberg」と「CMC」。後追いでガンガン聴いた。高校3年の春「Good Dreams」、そして冬に傑作「Φ」。生活のシーンすべてにルースターズがあった。年が明けて大江脱退のニュース。春、私は函館を離れて札幌へ。もちろんルースターズのレコードをすべてカセットテープにダビングして持って行った。

札幌で1年過ごし上京すると、同時期に大江もソロ活動開始。本人にとっては不本意な時期で、そのころの作品を認めてないようだが、彼との唯一の「接点」として何度も何度も聴いた。ときに痛みをともないながら。その後、大江は長い「休養」に入り、私はなんとか就職する。

去年、十数年ぶりにシーンに帰ってきた大江。まわりは大歓迎であったし、その期待を裏切らなかった。このまま突っ走るのかと思ったらソロユニットUNの活動停止。まだ手探りなのかもしれない。

「狂気」とか「カリスマ」とかではなく、ひとりの人間「大江慎也」として、マイペースで活動してほしい。これからもずっと聴き続けるし、ずっと待っていると思う。
Life goes on.
Life is a Journey.


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by beatpops | 2005-06-13 05:47 | 函館思い出の音楽 | Comments(0)
BCL(海外短波放送)
BCL(BroadCasting Listener)とは、短波ラジオで海外放送を聴くこと。深堀中学2年のころ(1980年)、短期間ではあるが夢中になった。短波ラジオを聴くためには専用のラジオが必要で、我が家にはちょうどナショナルの「クーガーRF-2200」というラジオがあった。当時としてはちょっと高価なラジオだったと思う。この「クーガー」は、メインは短波を受信するためのラジオなのだが、上部についている中波用アンテナ(ジャイロアンテナだったかな?)が特徴で、ラジオの位置を変えなくても、中波帯(AM)を聴くときは受信状態を調整することができた。短波ラジオは遠くまで電波が届くという利点の反面、雑音が多いのでチューニングやリスニングに結構、忍耐が要求されたが、なかなか受信できない目的の局を苦労して受信できたときは、宝を探し当てような達成感があった。さらに受信状態を良くしようと、屋根に上がって四苦八苦しながらアンテナ線を張り巡らしたこともある。結果はあまり変わらなかった。

主に聴いていたのはやはり日本語放送で、覚えているのはBBC、ドイチェヴェレ、モスクワ放送、ラジオ・オーストラリア、北京放送、ラジオ韓国、朝鮮中央放送(北朝鮮)、自由中国の声(台湾)、ベトナム放送、アンデスの声(エクアドル)あと宗教系の放送がグアムやフィリピン、韓国などから。まだ冷戦時代だ。やはり近いということもあってアジア各国の放送が受信状態が良く、聴きやすかった。ヨーロッパでもアジアに中継局があるものは聴きやすかった。「乱数放送」ってまだあるんだろうか?そういえばタモリが「こちらは北京放送局です」という芸(?)をやっていたのもこのころ。

放送を聴いて、放送局に受信日時、受信状態、内容などを記載した「受信報告書」を送ると、それを証明する「ベリカード」というものが送られてくる。「ベリカード」は絵葉書のようになっていて、片側に受信証明を記載、もう片側に現地の写真や絵になっていて各国各局特色があり、それを集めるのも楽しみのひとつであった。ラジオ・オーストラリアは、現地の動物写真で人気が高かったと思う。北朝鮮は、放送の内容は日本に厳しいものではあったが、ベリカードと一緒に小型のペナントなどが同封され、リスナーへの対応はとても良かった印象がある。当時、ルチャリブレ(メキシコのプロレス)に憧れていたので、ラジオ・メキシコにほとんど受信できなかったにもかかわらずテキトーな英語で受信報告書を送ったらベリカードとペナントが送られてきたときはうれしかった。これらのベリカードはまだ柏木町の実家のどこかにあるはずだ。

その後ビートルズに出会ってからは海外放送も聴かなくなった。私の中では半年くらいのブームであった。インターネットなんて夢にも思わない、いまから四半世紀も前のことなんだな。
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by beatpops | 2005-06-12 12:48 | 函館思い出のブーム | Comments(1)
「ノストラダムスの大予言」と「日本沈没」
ベストセラー本「ノストラダムスの大予言」が映画化されたのは1974年、小学2年のころ。この映画は後年の「犬神家の一族」と同じく自分は留守番で母と兄だけが観に行っている。あらすじはまったくわからないが、当時兄に「1999年に世界は滅亡するんだ」と盛んに吹き込まれた。それ以来とてもブルーな日々を送ることになり、毎日仏壇に「神様、どうか世界を滅亡させないでください」と祈ったものだった(仏壇なのに)。仏壇といえば、同じころ母から「ウソばかりつくと地獄に落ちるよ」と言われ、やはり毎日仏壇に「神様、どうか地獄に落とさないでください」と祈ったものだ(仏壇なのに)。

同年、「日本沈没」がドラマ化された。これは小松左京原作で1973年に映画化されていたらしい。あらすじはほとんど覚えていないが、五木ひろしの主題歌をバックに、毎週少しずつ日本が沈没していった気がする。学校でも話題になった。最後はどうなってしまったんだろう?空想と現実の区別がつかない子供には「日本はいつか沈没してしまうんだ」と、これまたブルーな気持ちになった。

1999年、世界は滅亡しなかったし日本も沈没しなかった。あのころの仏壇への「祈り」が通じたのかもしれない。
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by beatpops | 2005-06-06 05:25 | 函館思い出の映画 | Comments(4)
貴ノ花
Excite エキサイト : スポーツニュース

子供のころ、ヒーローといえばプロレスのアントニオ猪木、プロ野球のON(長島は監督のイメージが強いが)そして相撲の貴ノ花だった。

相撲はそれほど観ていたわけではなかった。子供からみて相撲取りは「太っちょ」なのであまり憧れの対象にならなかったのかもしれない。しかし貴ノ花だけは違った。相撲取りとしては細身でかっこよく、相撲ごっこのときは皆貴ノ花になりたがった。

息子の若、貴よ。仲良くしろとはいわないが、公の前で少しでもそれを出すな。大人だろ。
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by beatpops | 2005-06-01 12:28 | 函館思い出 | Comments(1)