故郷函館に思いを込めたブログ。曖昧な記憶を元に書いてます。 (2004年7月開設)
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プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの まぁだま~って読んでみてよ

プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの まぁだま~って読んでみてよ

最初見かけたときはよくある暴露本の類で自慢話や恨みつらみばかりの本なんだろうなと思ったが、読んでみたらプロレスのあるべき姿、提言など共感できる部分が多かった。時に裏切りながらも客の関心を惹き続けて記憶に残る試合をしてきたアントニオ猪木。やっぱり不世出なんだろうな。
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by beatpops | 2013-02-10 00:40 | 函館思い出のブーム | Comments(4)
燃える闘魂とかまくら
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1月4日から3泊4日で帰省。

空港から実家へタクシーで向かう途中、湯の川ホテル渚亭の前に水色ジャケットに赤マフラーの大柄の男が立っているのが見えた。

猪木だ!
永遠のヒーロー、アントニオ猪木だ!

何かのイベントで来てるのだろうか?
とにかく、こいつは春から縁起がいい(と思うことにしよう)。

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娘(小4)が今年こそはかまくらを作りたいというのでお手本を見せるべく頑張ってみた。実は子供のころまともにかまくらを作ったことがないが、幸いなことに雪が多く、なんとか子供がふたり入れるくらいの大きさに出来上がった。自分も仰向けで入ってみる。久しぶりに感じる心地よい疲労感だ。
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by beatpops | 2013-01-05 09:06 | 函館2013冬帰省 | Comments(0)
藤波辰巳 デビュー40周年
藤波辰爾デビュー40周年・ファイナル ~40th.ANNIVERSARY FINAL~

1978年の1月だから5年生のとき、いつものように金曜夜8時、『ワールドプロレスリング』をみていたら、ニューヨークに遠征している藤波という選手の試合が放映された。

衝撃だった。

その数ヶ月後、藤波は凱旋帰国して超人気レスラーとなり、函館にも巡業でやってきた。ポスターを買うとその場でサインをしてくれるというので当然列に並んだ。自分の番になったとき、緊張のあまり固まってしまい、藤波もサインペンを持ちながら一瞬「?」という表情をした。とにかくかっこよかった。自分もいつか「凱旋帰国」しようと思った。

藤波辰巳(あえて辰巳と表記)はアントニオ猪木とともに僕のヒーローだった。
40周年おめでとう。


藤波辰爾デビュー40周年記念DVD-BOX
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by beatpops | 2012-04-23 23:19 | 函館思い出のブーム | Comments(6)
闘魂スペシャル
CSでときどき昔のプロレス中継を放送している。
今日は昭和57年のアントニオ猪木対国際軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)の1対3ハンディキャップマッチをやっていた。当時高校1年でプロレスが何より好きだった僕は当然この試合もテレビで見ている。ラッシャー木村だけでもシンドイのにひとりで3人と戦うなんて猪木も無茶だなと思ったが、負けるとは思ってなかったので最後エプロンでロープに足が引っかかってグロッキー状態になった猪木の姿は結構ショックだった。

この放送を見て思い出したのが山口良一のオールナイトニッポンだ。この番組には、アントニオ猪木が毎回電話出演(ときにスタジオにも来た)する「闘魂スペシャル」というコーナーがあって、金曜8時のプロレスの中継を見て、その深夜に猪木の談話を聞くというのが猪木ファンのお決まりであった。生中継で試合が最後まで放送できなかったときなどはこのコーナーを聞かないと心配で眠れなかったのだ。

山口良一のホームページ

山口良一のせいで土曜日はいつも寝不足だった。

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Emotional Rescue (Reis)
ストーンズを聴き始めたのは中学3年のころ。その時点の最新アルバムが『エモーショナル・レスキュー』だった。1980年発表。実験的な要素が強く、当時は賛否分かれたようだが個人的にはストーンズの夏の定番で最新リマスターで聴いている。オープニングの「ダンス」、アルバムタイトル曲「エモーショナル・レスキュー」は今になってそのカッコ良さがわかってきた。ツアーをしなかったにもかかわらず英米ともに1位。
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by beatpops | 2010-08-28 00:47 | 函館思い出 | Comments(5)
全編函館ロケ クランクイン…映画「アカシアの花の咲き出すころ」
eHAKO 函館地域ニュース

子供のころのヒーロー、アントニオ猪木が函館を舞台にした映画に出るなんて夢のようだ。

どこでロケするんだろう? 
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by beatpops | 2008-06-27 01:55 | 函館ニュース | Comments(2)
昭和のプロレス
プロレスが大好きだった。

きっかけは覚えていないが、小学1年のいつのころからか金曜8時といえば「ワールドプロレスリング」にでてくるアントニオ猪木や坂口征二らに夢中になった。自分もレスラーになりたいと思い、マットレスを相手に(仮想)試合の毎日だった。

小学3年生になると「別冊ゴング」などの雑誌を講読するようになった。毎月買いに行くのが面倒だったので松陰町の鈴木書店から配達してもらった。アメリカの州とか都市の名前はこの雑誌で覚えたものが多い。函館市民体育館ができてからは、定期的に興行があったので色紙片手に観に行った。前座のレスラーですら近くでみると独特のオーラ、闘いのオーラを放っていた。

中学、高校になっても好きだったが、周りからはプロレスファンは減っていったので話題になることは少なく、ほとんどひとりで観ていた。満身創痍のアントニオ猪木を本気で心配した。

アントニオ猪木が一線を退いたあたりから徐々にプロレスは観なくなった。アントニオ猪木達が「提供」してくれた「闘いの世界」がそれ以降のプロレスには感じられなくなったからだ。「闘魂」というキャッチフレーズは伊達じゃなかった。

そんな自分が共感できるブログをみつけた。

別冊・プロレス昭和異人伝

あのときのあの世界。自分を魅了した世界は確実にあったのだ。
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by beatpops | 2008-02-03 22:46 | 函館思い出 | Comments(6)
マスカラスの夏2005
先月、このブログでプロレスラーのミル・マスカラスを取り上げたらなんと!昨日来日した。今日8月4日、東京両国国技館でテリー・ファンクとタッグを組み試合をするようだ。夏といえばやっぱりマスカラス、試合には行けないが久々「スカイ・ハイ」と「スピニング・トー・ホールド」を聴きたくなった(ちなみに今朝はブッチャーのテーマ「吹けよ風~」を聴いた)。
飛べ飛べ!マスカラス!!(飛べるか?)

スポーツナビの来日写真
ミル・マスカラスの夏
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by beatpops | 2005-08-04 11:26 | 函館思い出のブーム | Comments(0)
ミル・マスカラスの夏
70年代後半、プロレス大好き少年の夏といえばコレ「ミル・マスカラス」。「仮面貴族」や「千の顔を持つ男」という異名を持つメキシコの覆面レスラーで、ボディビル出身のビルドアップされた体でボディアタックやフライングクロスチョップなどの空中殺法を得意とした。ジャイアント馬場の団体「全日本プロレス」の夏のシリーズ「サマーアクションシリーズ」に毎年のように来日した。

今では当たり前となった選手入場時に流れるテーマ音楽は、マスカラスが先駆者だと思う。英国のバンド「ジグソー」の『スカイ・ハイ』だ。この曲は日本でも大ヒットし、ラジオ番組「ベストテン北海道」でも上位にランキングされていた記憶がある。小学校5年くらいのころだろうか。その後、ジグソーはいわゆる一発屋で終わるがマスカラスの人気は弟のドスカラスとともに上昇していく。

マスカラスは、試合用の覆面(マスク)の上にもう1枚マスク(オーバーマスクといった)を被って入場した。そしてリングに上がると、そのオーバーマスクを脱いで客席に向かって投げるのだ!それはもう「お宝」である。テレビに映る、マスクを手にした人が本当にうらやましかった。このころ一番欲しいものは?ときかれたら迷わずマスカラスのマスクと答えただろう。

マスカラスはとてもいい人で(というか日本テレビの企画で)、試合会場に来れないファンのために、シリーズが終わると視聴者プレゼントがあった。ハガキを送ると抽選でオーバーマスクが当たるのだ。どうしてもマスクがほしかったのでハガキを100枚くらい買ってきて、少しでも目に留まるように一枚一枚手書きでマスカラスの絵を描いたり、メッセージを書いたり(日本語で)、蛍光ペンで縁取りしてみたりした。

そして抽選の日。この模様はテレビで中継されたのだが、リング一面を覆う、積み重なったハガキの山。このハガキの山からジャンボ鶴田がハガキを一枚一枚選んでいくのだ。さすがにこの山を見たとき「こりゃダメだ...」と諦めかけたが、ジャンボに祈りを込めて念をいれた。「頼むジャンボ!当たりますように...」。ジャンボはハガキの山の中に思いっきりダイブして1枚のハガキを選んだ...。そしてまた1枚...。

その後、マスカラスはタイガーマスク(初代)の出現とともにピークは過ぎていく。

日本の夏、マスカラスの夏、金ラメ地のマスクがキラキラしてた...。
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by beatpops | 2005-07-12 06:34 | 函館思い出のブーム | Comments(2)
国際プロレスの金網デスマッチ
函館にいたころ、まだプロレスがゴールデンタイムで放送されるほど人気があり、猪木(新日本プロレス)の「ワールドプロレスリング」、馬場(全日本プロレス)の「全日本プロレス中継」をかかさず観ていた。当時、新日本と全日本以外にもうひとつ団体があった。国際プロレスである。東京でのみテレビ放送していたこの団体は、他の2団体に比べスター選手がいないため「金網デスマッチ」を売りのひとつにしていた。

国際プロレスは何回か函館市民体育館にやって来て、小学6年生~中学2年の間に少なくとも2回は観に行っている。プロレスに行くと、選手にサインをもらうのが楽しみだったが、国際プロレスの選手は他団体の選手が無言でサインするのに対し、とても気さくに話しかけてくれたりした。マイティ井上が色紙に「○○君へ」と書くために私の名前を聞かれたが、漢字をうまく説明できず間違って色紙に書かれた。当時、凱旋帰国したばかりで脚光を浴びていた阿修羅原にも話しかけてもらったが緊張のためうまく返事ができずに笑われてしまった。次の試合のため会場の隅でウォーミングアップしていた「謎のマスクマン」マッハ隼人におそるおそるサイン帳(売店で販売していた)を差し出したら、ウォーミングアップをやめてわざわざサインをしてくれたのもうれしかった。もうひとりのマスクマン、デビル紫の試合用マスクが1500円で販売されていたが、買わなかったことを今でも後悔している。このマスクは本人が自分で縫っていたらしい。

プロレスに行くとサインをもらうのに夢中で、試合をほとんと観ていないのだが、金網デスマッチだけはメインということもありしっかりと観ていた。確か”エース”ラッシャー木村 VS グレート・ムルンバとかいう黒人選手だったと思う。金網デスマッチは、リングの周りを高さ数メートルの金網で囲み、リング外に簡単には逃げられないようになっている。もちろん金網に叩きつけてもOKだ(あまり痛くないと思うが)。試合の決着方法もスリーカウントではなくノックアウトかギブアップのデスマッチ(時間無制限)。技の応酬とかは覚えていないがラッシャー木村がムルンバの腹に弓を引くように思いっきりパンチをぶちかましたのは「いくらなんでもそりゃ痛いだろ!」というくらい迫力があった。試合はたぶんラッシャー木村が勝ったんだろう。器用な選手ではないがおそろしくタフであった。

その後国際プロレスは、北海道の羅臼町で最後の興行を行い団体としての活動を停止する(1981年)。ラッシャー木村はアニマル浜口(気合だ~!)、寺西勇とともに猪木の団体へ参戦し、毎週のようにテレビに登場することとなる。


♂Glass Onion Blog♀ > アニマル浜口と国際プロレスとその後の色々
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by beatpops | 2005-06-29 15:20 | 函館思い出 | Comments(0)
新春黄金シリーズ
新日本プロレス 1月31日(月)函館市民体育館 試合結果  
● 観衆 4,200人(超満員札止め)


アントニオ猪木も来たみたいだ。ヒロ斉藤はまだ現役。30年くらい前函館で観た時、ヒロ斉藤はまだ練習生で、サインをせがむ子供たちに「まだ、サインないんだ」と言っていたのが印象深い。
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by beatpops | 2005-01-31 23:31 | 函館ニュース | Comments(0)